小田原城 de 菊花展
小田原城では昨日まで、
菊花展が開催されていました
一言で菊と言ってもいろんな種類があるんですね~
どれも、丹精込めて育てられているので、
一本一本、見事に咲いていました

菊花展は本丸広場で開催されているので、
お城
と写真が撮れるな~とカメラを出したら、、
にゃんと、お城に、猫
さんが

どこから上ったのでしょう?
どうやら、昨日は日中も曇り空で、肌寒かったので、
日向ぼっこ
の場所にお城を選んだようです

私が写真を撮っていると、
「あ、猫がいる!」と通りがかった子供たちの声が
それに驚いたのか、いったん、
場所を変更しようとお城の上をウロウロ
でも、日陰をさけて、また、日当たりのいい場所へ戻ってきました
そうそう、動物といえば、
小田原駅にある早雲像には牛
がいますよね~

これは早雲が小田原を攻める際に、牛の角に松明をくくりつけて、
箱根の山から一気に突撃したという伝説がもとになっているんですよ
そもそも、今では小田原と言えば北条氏
と皆さん当たり前なっていますが、
もともとは、北条早雲は岡山県出身なんですよね
しかも、北条という姓は2代氏綱が
鎌倉幕府の執権「北条」氏の強いイメージを
彷彿させるように改姓したものなんです
(その前は「伊勢」という姓なんですよ)
だから、紛らわしくないように、
早雲からの北条氏を「戦国北条氏」と明記したりします
そして、「戦国時代は北条で始まり北条で終わる」
と言われるように、
早雲が将軍足利義正の甥、足利茶々丸を内紛で討って、
伊豆を平定したことが、いわゆる下剋上の始まりであり、
戦国時代の幕開けと言われています
そして、大森氏から攻め取った
小田原城を拠点に関東を治めていくことになります
ちなみに、その小田原城へは、
3代氏康が4代氏政へ家督を譲った頃に、
関東侵攻をもくろんでいた、
「上杉謙信」が攻めてきましたが、
籠城し、強固な守りに謙信は退陣したといわれています
そんな小田原城を我が物顔で悠々歩く
「猫さん」
また会いに行きます
菊花展が開催されていました

一言で菊と言ってもいろんな種類があるんですね~
どれも、丹精込めて育てられているので、
一本一本、見事に咲いていました


菊花展は本丸広場で開催されているので、
お城

にゃんと、お城に、猫



どこから上ったのでしょう?
どうやら、昨日は日中も曇り空で、肌寒かったので、
日向ぼっこ



私が写真を撮っていると、
「あ、猫がいる!」と通りがかった子供たちの声が

それに驚いたのか、いったん、
場所を変更しようとお城の上をウロウロ

でも、日陰をさけて、また、日当たりのいい場所へ戻ってきました

そうそう、動物といえば、
小田原駅にある早雲像には牛


これは早雲が小田原を攻める際に、牛の角に松明をくくりつけて、
箱根の山から一気に突撃したという伝説がもとになっているんですよ

そもそも、今では小田原と言えば北条氏

と皆さん当たり前なっていますが、
もともとは、北条早雲は岡山県出身なんですよね
しかも、北条という姓は2代氏綱が
鎌倉幕府の執権「北条」氏の強いイメージを
彷彿させるように改姓したものなんです

(その前は「伊勢」という姓なんですよ)
だから、紛らわしくないように、
早雲からの北条氏を「戦国北条氏」と明記したりします
そして、「戦国時代は北条で始まり北条で終わる」
と言われるように、
早雲が将軍足利義正の甥、足利茶々丸を内紛で討って、
伊豆を平定したことが、いわゆる下剋上の始まりであり、
戦国時代の幕開けと言われています

そして、大森氏から攻め取った
小田原城を拠点に関東を治めていくことになります
ちなみに、その小田原城へは、
3代氏康が4代氏政へ家督を譲った頃に、
関東侵攻をもくろんでいた、
「上杉謙信」が攻めてきましたが、
籠城し、強固な守りに謙信は退陣したといわれています
そんな小田原城を我が物顔で悠々歩く
「猫さん」

また会いに行きます

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